正直に書きます。『サガサバイバーズ』の開発は、いま完全に止まっています。少し前までは「一時停止」だと自分に言い聞かせていたんですが、もうそう呼べる状態でもない。単純に、手が動いていません。

止まった理由は、自分でもうまく言い切れないくらい、ぼんやりしています。ある程度は遊べるところまで作ってみて、そのうえで「なんか、このまま作っても面白くならないかもな」という思いが出てきた。はっきり「ダメだ」と判断したわけでもない。ただ、その「かもな」がずっと居座っていて、モチベーションが上がらないんです。やる気が湧かないから、手が動かない。バグでも技術的な壁でもなく、もっと手前の、気持ちのところで止まっています。

ひとりで作ることの弱さ

こういうとき、ひとりで開発していることの弱さがもろに出ます。

チームで作っていれば、誰かが「今はまだ面白くないけど、ここをこうすれば化ける」と言ってくれるかもしれない。逆に「これは筋が悪いからやめよう」と引導を渡してくれるかもしれない。どっちにしても、自分の「面白くならないかも」に、外から何かが返ってくる。でもひとりだと、その「かもな」に返事をしてくれる人がいません。誰も否定してくれないし、背中も押してくれない。ぼんやりした不安がそのまま居座って、モチベーションだけが静かにしぼんでいく。

前に devlog で、自分のプレイテストの手応えを軽く見て、都合のいい仮説を立ててしまう、と書きました。今回はその逆で、都合の悪いほうの予感に、ひとりで飲まれてしまった。上振れも下振れも、全部ひとりで抱えることになる。ひとり開発のいちばん怖いところは、たぶんここです。

その間に『45番電車』を遊んだ

手が止まっている間、『45番電車』を遊びました。

『8番出口』ライクの異変探しに、ヒロインと物語を乗せたインディーゲームです(成人向けタイトルなので、そこは各自の判断で)。6 月に Steam で出て、7 日で 10 万本、レビューは「圧倒的に好評」という、とんでもないヒットになっています。

これが、すごく面白かった。

異変を見つけて、進んで、また次の車両で異変を探す。この繰り返しが素直に気持ちよくて、気づいたら次の車両に進みたくなっている。

感心したのは、遊びやすさへの気配りです。便利アイテムが用意されていて、探索の快適さがちゃんと上がっている。誰が見ても『8番出口』ライクな作りなのに、フォーマットそのものの遊び心地は確実に一段上がっているんです。借りてきた型をそのまま置くんじゃなくて、細かいストレスを削って、磨き直している。この手つきが丁寧でした。

もっと感心したのは、その一段奥です。ゲームの世界そのものは、この手の異変ゲーにありがちな理不尽さ(なぜこの電車に閉じ込められ、なぜ異変が起きるのか)で、そこはまあ、置いておく。でもその上で、異変を見つけることの意味付けと、見つけたあとのご褒美の設計が、元ネタからきちんとパワーアップしている。『8番出口』は、異変があれば引き返す、なければ進む、という乾いたルールが骨格でした。『45番電車』は、異変を探す理由のほうにも、見つけたときの手応えのほうにも、ちゃんと肉がついている。同じ「異変探し」でも作業感が薄くて、一回ごとに意味とご褒美が乗っているんです。

そして、ヒロインをはじめとするキャラクターの立ち方と、ストーリーの良さ。これがプレイ後の気分の良さに直結していて、遊び終わったあとに嫌な後味がまったく残らない。異変探しの緊張感の合間に、ちゃんと会いたい相手がいて、続きの気になる話がある。だから最後まで走れる。

成人向けタイトルではありますが、成人要素を抜いても面白いと言い切れる作りです。フォーマットの磨き込みと、キャラクターと物語の強さだけで、ゲームとして単体で成立している。そこがいちばん唸ったところでした。

並べるのもおこがましいけど、自分のことを考えてしまった

先に、はっきり書いておきます。『45番電車』と自分のゲームを、並べて語れるなんて思っていません。向こうは完成していて、圧倒的に面白くて、10 万本売れている。こっちは完成すらしていない、止まった作りかけです。土俵が違うというより、自分はまだ土俵に上がってすらいない。

それでも遊びながら自分のことを考えてしまったのは、入り口だけがたまたま似ていたからです。『45番電車』は『8番出口』という型を借りている。自分の『サガサバイバーズ』も、ヴァンサバライクという型を借りている。同じ「借り物から始めた」はずなのに、そこから先が天と地でした。片方は型を磨き上げて、誰が遊んでも楽しい完成品にまで持っていった。片方は、面白くなるのかどうかすら見えないまま止まっている。

その差はどこから来るんだろう、と遊びながら考えて、たぶん、なぜこれが面白いのかが、遊ぶ人に最初から見えているかどうか、じゃないかと思いました。『45番電車』は、開始数分で「こういう気持ちよさのゲームね」と伝わってくる。異変を見つける快感も、次に進む理由も、ご褒美も、最初から目の前にある。対して自分は、システムを積み上げていけばそのうち面白くなるはずだ、と思って作っていました。面白さを「これから来る約束」として先送りにして、その約束を信じているのは作り手の自分だけ。遊ぶ人には、まだ何も見えていない。

しかもひとりだと、その「そのうち面白くなる」を疑ってくれる人がいません。約束が本当かどうか確かめられないまま、モチベーションのほうが先にしぼんでいく。完成させて世に問うところまで行けた作品と、途中で止まっている自分。学べることは向こうにいくらでもあって、こっちから言えることは何もない。

それで開発が再開したかというと、していない

『45番電車』を遊んで「よし、やる気が出た、サガサバイバーズを再開するぞ」とはなっていません。開発は今も止まったままです。

戻るのか、作り直すのか、いったん置いて、もっとフックの明快な別のものに手をつけるのか。それも決まっていません。今わかっているのは、45番電車がくれたのは「やる気」じゃなくて、「面白いって、遊ぶ側からはこう見えるんだ」という感触だった、ということだけ。ひとりで作っているうちに、いつのまにか見失っていた、遊ぶ側の視点です。

それが今、自分の手元にあるたったひとつのもの。ここからどうするかは、まだ言えません。


アイキャッチ: Steam『45番電車』 より © Elniko / Mango Party

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